端的に言えば気持ち悪い。
なぜこの単語に違和感を覚えるのか。
そもそも推という字は推察、推理、推挙、推薦などで使用される漢字である。
このうち推察と推理、推挙と推薦は似たような意味だが推察と推理は予想。推挙と推薦は後援が近しい。
推しという単語を使う場合は後者の意味だと思われるが、ファンなどと違いより対象物に近しい存在であることをアピールしている気がする。
元々推しというのはアイドルオタクが使っていたと記憶している。
そのころはあまり目につく存在ではなかったので気にならなかったが今思えば客側が勝手に使っていたと思う。
一方で最近は供給側、つまりアイドルや制作側が使用している気がする。推薦や推挙をされる側が大っぴらに求めることがあるか?
裏では推薦人集めたりするけど名目上は推薦する側が自発的にやることでしょ。
そのうえで昨今は批判に対しても厳しい措置をとるとか言い出してる。
推薦した人間は一心同体。批判も称賛も同時に受け取れるものだと私は思う。連帯保証人みたいなもの。推薦した人間の責任において推薦する人間を保証する。これが推薦ということ。
なのにファンに対して称賛はしろ、批判は訴えるってのは違うんじゃないかなと感じるわけです。
この批判に対する態度こそが推しという単語に覚える違和感の原因。この単語自体に違和感を覚えているわけではなく、それを取り巻く環境が嫌いってこと。
結論をいえば推しだとか推し活とか言ってるのは気持ち悪いからっ海にでも飛び込んでくれってことだな。
既存の単語で表せないのは自己の言語化能力が低いからだぞ。平素な単語で説明出来ないのも能力が足りないからだ。